三浦半島一周99キロソロライド挑戦・・・一周ルートってどの道?

◎なんで三浦半島一周?・・・なら、ついでにいろいろと予定を!

2023年10月28日に、三浦半島一周99キロソロライドに挑戦しました。でもそもそもの最初のきっかけは、たまたま横浜でコロナ以来会っていない友人と会う約束をしたからなのです。伊豆半島一周はやったので、横浜へ行くなら三浦半島一周もやってやろうと考えたんですよ。その上、どうせ横浜へ行くなら東京で別の友人と会う予定も入れ、さらに、これも数年会っていない埼玉の叔母に会う計画も入れたのでした。

全体の計画を作ってみた!!

その結果、ロングライドの計画は、前乗りで三浦半島一周99キロと、横須賀から新宿までのルートの57キロを走ることにしました。ルート等をネットでリサーチし、全体の計画が上記です。輪行には便利で安い夜行バスを使うこととし、往路は大阪から新横浜、復路は新宿バスタから大阪です。

◎初日:輪行で深夜バスに乗る!

2023年10月27日(金)の19時に自宅を出発し、電車で大阪梅田の阪急高速バスターミナルへ向かいました。21時40分発のブルーライナーで予め輪行予約でプラス1500円を支払ってあるので、ロードバイクは問題なく乗せてもらえました。このバスは4列ですが、隣と通路にはすべてカーテンがあるので、まあ、プライベートの保持や感染の防止には、多少は効果があるようですね。いつも夜行バスの輪行で思うのですが、2時間ごとのトイレ休憩で起こされ、眠った気分にならないのですが、その後のライドがあるので、アドレナリンがでるのでしょうね。短時間睡眠でも結構走れるのです。

◎2日目:新横浜駅で自転車を組み立て、さあ出発!

翌28日(土)は予定より早く、朝5時半には、新横浜駅に着きました。肌寒い中、取り合えず、閑散とした駅の中に輪行袋を移動させ、早速バイクを組み立てます。

新横浜駅前に着いた!まだ、暗い!
閑散とした新横浜駅構内
バイクを組もう!

6時、さあ出発です。グーグルナビをセットして、新横浜から横浜へ国道16号を通り、その後、反時計廻りで、逗子を目標にしていきます。逗子からは海岸沿いの道を走ると巨大なクルーザーが大量に陸に置いてあるマリーナがいくつかありました。それを横目で見ながら、葉山の御用邸を抜け、海上自衛隊の施設があるところから、西の海側に行ったのですが、暫く行ってみると袋小路になり、やむなく大きな公園(ソレイユの丘)の前を抜け、東側の国道(134号)から南下することにしました。その後も、西側の海岸に行きたいのですが、この日は晴れで10月末というのに、日差しが強く、スマホの画面が見にくくて、グーグルマップをうまく操作できず、結局、国道26号を単純に南下するだけになりました。後でわかったのですが、途中、油壺の看板のある交差点で西に行くべきでしたね。その後、三浦半島先端の西側、「うらりマルシェ」に行き、少し戻って、城ケ島への橋に渡りました。せっかく橋を渡ったものの何もなさそう?でしたので、また戻り、それから以降が大変でした。迷路のような細い道を行くことになり、何とか海岸沿いの道を走りたいと思い、公園と大きな風車のある道を抜け、半島東側の三浦海岸にやっと辿り着きました。三浦海岸は初めてでしたが、白砂が綺麗で、私の家から近い兵庫県の須磨海岸より長い海岸でびっくりしましたね。

三崎の「うらり」にて
三浦海岸にて

暫くして、ペリー記念館(小さな記念館です)を見つけましたので見学し、浦賀に入りました。ペリーを見に江戸時代末期の志士たちは、こんな山越えの場所まで、足を運んだのですね。みんな健脚だったのでしょうね。

ペリー記念館

その後は、浦賀から海岸線を通ったのですが、観音崎への道は、どうも迷いそうなのでパスをし、国道16号線に入り、今日の目的地の横須賀中央まで走り、予約してあったホテルに到着し、私としてはまあ新横浜からなので一応、これで三浦半島一周は完走と(勝手に)しました。

本日の走行距離:99.24キロ、時間:4時間44分49秒、平均時速21.0キロ、MX:48キロでした。

私は三浦半島に行く理由のひとつに横須賀で「戦艦三笠」を見るということがありました。歴史が好きで、四国一周のひとつの目的がジョン万次郎記念館(ちなみに桂浜は何回も行っている)であったように・・。この日、横須賀には13時頃に着いたのですが、ホテルのチェックインの時間までまだ時間があるので、ポタリングで出かけました。ちょっとびっくりしたのは、戦艦三笠の大きさです。予想したより小さかったのです。明治時代はこれでも、大きかったのでしょうが・・・。また、三笠のある公園から港に浮かんでいる現役の戦艦(護衛艦?)や潜水艦をみることもできました。その後、「JRの横須賀駅」に行ってみたのですが、ここは寂れているというか、廻りには公園以外に何もないんですね。私の泊まったホテルのある「横須賀中央」駅の方がが繁華街もある賑やか駅なのでした。この日は、せっかくなので有名な「海軍カレー」を食べようと思い、ホテルのフロントの方に聞いたら、土産物店の2階のカレーが老舗らしいのですが、ツーリストプライスとのことで、別の店(ベンガル)を紹介されたので、そこのカレーを食べました。まあ、美味しいのですが、特徴がいまいちわからなかったですね。

念願の戦艦三笠を見た!
横須賀市内の風景(後ろは銅像)
閑散としたJR横須賀駅

◎3日目:横須賀から横浜へ・・でも、雨でどうする?

3日日目の2023年10月29日は、今回の旅のきっかけだった「横浜で午後から友人と会う約束」があったので、横須賀から横浜まで21キロを走る予定でした。でも朝から雨が降っていたので、面倒だったのですがロードバイクを畳み輪行袋に入れ、やむなく電車移動にしました。横須賀中央駅から日ノ出町駅まで各停で17駅。まあ、安全第一ですね。横浜には11時に着きました。アーリーチェックインのホテルを予約してたのですが、12時からでしたので、輪行袋を預け、1時間ほど徒歩で近辺を散策しました。その日は13時に友人と会う予定で、もしロードバイクで来た場合に、汗だくですので、シャワーを使いたくて、わざわざこの12時のアーリーチェックインのホテルにしたのでした。

◎4日目:横浜から新宿バスタまで35.8キロを走る。・・その後がタイトな予定だった!

4日目の30日は、11時を目標に新宿バスタまで35.8キロ走り、ロードバイクを新宿のどこかに置き、そこからJRで埼玉県の戸田駅まで行き、コロナ以来となりますが、親戚の叔母に会う予定と、その後また新宿に戻り、17時から新宿で友人と会う予定を設定していました。朝の天気を見て、輪行か走るか決めようと考えていましたが、朝から晴れでしたので、早い朝食を取り、7時からロードバイクを組み立て、8時前にはホテルを出発しました。グーグルナビで「車」ではなく「自転車」を選択して走ったのですが、多摩川辺りまでは、国道15号に誘導されてしまいなぜか国道1号ではなく、迂回の経路となってしまうんですね。結局は、ナビを見ないでただ国道1号を進むだけにし、五反田の手前で「山手通り」の標示を見みつけ、その後、「青山通り」の標示を見つけましたので、道なり行くと無事に新宿バスタに着くことができました。やれやれ。

本日のライドは、当初リサーチした距離よりも短く?て、距離:30.46キロ、時間:1時間27分30秒、平均時速:21.1キロ、MX44キロでした。

30キロ走って新宿バスタに着いた!

◎これは便利!!・・新宿バスタのロードバイクの輪行袋の一時預かり

新宿バスタは、今年の春の茨城ー新宿ソロライドで来ていますので、慣れたものなのですが、今回は新たな発見がありました。それは、この日、新宿に到着後、叔母と友人と会ってそのままその日の深夜バスに乗って帰路につくのですが、輪行袋を預かってくれる3階の佐川急便の「バスタ新宿 SHINJUKU SERVICE CENTER」をネットで見つけたのです。1000円で、6:30~23:00まで預かってもらえ、その間、手ぶらでどこでも行けるのです。これは便利でした。ここを見つけるまでは、新宿駅近くの有料の駐輪場を探したものの、盗難の心配や、駐輪場からロードバイクを出しても、今度は畳んで輪行袋へ収納しなければならない等のネックがあり、これを一挙に解消してくれました。

この日は、友人と会った後に、このバスタ新宿の3階の「SHINJUKU SERVICE CENTER」で、バイクを受取り、4階の出発フロアへ行くだけです。結局21時過ぎに輪行袋を取りに行き、無事、帰りの21時50分発のブルーライナーに乗ることができました。

◎5日目:大阪梅田に着いた!・・これからどうする?ラッシュアワーだけど・・

翌朝は、朝6時半に大阪梅田(梅田プラザモータープール)に着いたのですが、寒い朝で、電車にするか、ロードバイクを組んで自走で帰るか迷ったのです。実は前日の横浜ー新宿間で着たウエアやサイクルパンツは洗えなかった(ランドリーの時間がなく)こともあり、再度着る気になれず、多少は疲れも残っていたので電車移動にしました。でも、この時間からがラッシュアワーなので、逡巡するところですが、阪急電車の混み具合は大したこともなかったので助かりました。でもJRは混んでおり、邪魔にならぬよう先頭車両まで行き、何とか迷惑をかけずに家まで辿り着くことができました。

今回のライドの総距離は、130.2キロでした。けがもなく無事で何よりでしたね。

(追記)

帰りの夜行バス(ブルーライナー)は、往路のようなカーテンがない分、またウイークデーのため格安でした。4500円に、輪行1500円で、6000円。往路のカーテンがついたバス(計10000円)はそれはそれなりにいいのですが、結局2時間ごとの休憩で起こされるので睡眠の深さという意味では、大して変わらないと思いましたね。なお、家に帰ってのその日の睡眠は、極めて充実した睡眠!!!でしたよ。

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茨城空港-仙台279キロ国道6号ソロライド・・・台風で予定変更。191キロ走り、仙台で十数年ぶりに恩師に会う!

国道6号線を北上のソロロングライド計画

もともと私は宮城県仙台市のすぐ南にある岩沼市で会社員生活をスタートし、2年間の勤務後、関西に住んでいたのですが、2004年4月から、再度岩沼市に3年間の単身赴任をしていたこともあり、私のいくつかのロングライドの計画の中から仙台を目標に、浜側の国道6号線を茨城から北上するルートで走ってみたいと思っていました。もちろん福島の原発近辺の状況にも世間一般的な関心もありましたので。

この計画は、最初は昨年2022年9月の予定でフライトも押さえたのですが、腰痛が出たため延期にし、さらに、寒さの緩んだ今年2023年4月に再挑戦したのですが、神戸空港から茨城空港まで飛び、水戸までライドして宿泊中の夜に、たまたま東京の孫がケガをしたという連絡を受け、急遽、行先を北から南に変え、水戸から東京に戻ったのでした。(このHPにも記事あり)

その後、孫のケガもほぼ完治したのですが、SKYMARKの1年間有効の「たす得」チケットの復路の仙台から神戸間だけが残ったままで、その期限が9月11日であることから、今回また再々挑戦することにしたのでした。

◎2023年9月7日(木)・・初日

自宅を9時に出発し、神戸空港11時50分発の茨城空港行きのSKYMARKに乗りました。前日に4月と同じように飛行機用の輪行袋にロードバイクを詰めたのですが、破損回避のためリアディレーラーを外したり、サドルを下げないと輪行袋に収納できないとか、結構今までの経験が活かされない状況でしたね。そして茨城空港に13時に着きました。茨城空港内で今度は自転車を組み立て、この飛行機用輪行バッグはゴールである仙台の予約したホテルに宅急便で送ることまでは、前回と全く同じ作業です。

家で飛行機用輪行袋に詰めた!

前回と違うのは、初日の予定は水戸(茨城空港から30キロ)ではなく、もう少し先の日立(同55キロ)に設定し、天候次第でどうするか決める予定でしたが、この日は、くもりで走りやすかったこともあり、16時頃の休憩で日立駅近辺のホテルの状況をネットでみると適当なところがなく、一つ手前の常陸多賀駅にあるルートイン常陸多賀にすることに決めました。ここで1泊し、さあ明日から「いわき」に向けて出発と思ってたのですが・・。

この日の記録は、距離:52.03キロ、時間:2時間16分40秒、平均時速:22.8キロでした。

常陸多賀駅に着いた!

この日の夜にテレビの天気予報やスマホで雨雲レーダーを再三見ていましたが、どうも台風13号が近づいてきて、この辺りは線状降水帯の経路になるようです。流石に安全第一ですので、どうも朝早くここを発った方がよさそうなのです。これからどうするか、台風が来る前でJR常磐線が動いている内に、仙台へ行ってしまおうか、それとも、様子見で「いわき」か、もう少し先にするかが悩みどころでした。ともあれ、結局、電車移動をするかは翌朝に決断することにしました。

◎2023年9月7日(金)・・2日目

この日は早朝からテレビを見て、スマホの雨雲レーダーを見ながら、結局、JRでの輪行を決断し、急いでホテルの部屋でロードバイクを輪行袋に詰めました。その後、ホテルをチェックアウトし、すでに小雨が降り始めた中、常陸多賀駅に徒歩で向かいました。この時点では電車は通常運行でした。8時頃で通学の学生が多かったようです。その後、電車の中で、今日のホテルをどうするかを「じゃらん」で、調べて今後のことを考え、いわき駅近くの「パシフィコホテル&スパ」を予約しました。本当は、「いわき湯本」にしたかったのですが、コスパで断念しましたね。

常陸多賀駅からいわき駅までJRで輪行

常磐線の日立多賀駅からは約1時間でいわき駅に着きました。さてこれからどうするか? ホテルのチェックインまでは、5時間以上も時間があります。外は台風による強風を伴う雨でしたので、アーケードのある立派ないわき駅の出口付近か、となりのビルにある複合施設しか待機する場所がありません。取り合えず予約したホテルに電話して、輪行袋に詰めた自転車を預かってくれないか尋ねるとOKしてくれ、ほっと一息です。その後、雨の中をホテルに行き、重たい輪行袋を預けることができました。

輪行でいわき駅に着いた!

それからがまた大変です。大雨の中、時間の潰しようがないのです。一つの案は、「いわき湯本」までJRで戻って、温泉&散策もあるのですが、台風次第で戻れなくなる可能性があります。困った。結局、駅近くの複合施設の中を5時間くらい座っているか、うろうろしましたね。

15時にやっと、ホテルにチェックインできました。まずは施設内にある風呂でゆっくりし、部屋でひたすらテレビの台風情報とスマホで雨雲レーダー等をチェックします。その後、夕食と朝食の買い出しに外へ行くと、もう台風の強風になっていました。その内に、今晩には環状降水帯がここを通り抜ける可能性があることが分かってきました。その後、夕方から19時くらいにかけて、いわき市の発するスマホの「緊急速報メール」とアラーム(この音が大きいのです!)が深夜まで4回くらい続きましたね。後でわかったのですが、この時点でいわき市の山側は大変な状況になっていました。

いわき市からの緊急速報メールが23時過ぎまで4回ほど来ました。

◎2023年9月9日(土)・・3日目

テレビで見ていると、朝方には台風も熱帯低気圧に変わりそうだということや、環状降水帯も徐々に、北東に去っていくのが、雨雲レーダーでわかりました。また、道路封鎖情報もネットで見ると、山側が寸断されているものの、国道6号線は大丈夫そうです。8時過ぎでしょうか、今日は走れると決断し、輪行袋からロードバイクを取出し、組み立てにかかりました。そして雨雲レーダーから判断し、出発を9時と決めました。

出発の9時には、雨はほぼ止んでいました。雨雲レーダーが正しかったですね。でもその後、小さな雨雲があるのか2キロほど走ると、急に雨が降ってきて、またまたどうするか迷うのですが、結局コンビニで雨宿りをしていると小雨になってきたので、また走り出せました。それ以降は、くもりでそのまま迷うことなく走り続けることができましたが、20キロくらい走った辺りの双葉の広野あたりでも、また雨に会いましたね。でも、ちょうど休憩を取ったら、雨も止みまた走ることができました。

それ以降は、順調以上に走れました。というか30キロごとに休憩をとるのですが、気温が上がり30度を超える夏のような暑さになりました。それと、国道6号線をだだひたすら北上するのですが、原発の近くは風景が全く違いましたね。田畑は完全に放擲され、雑草が伸び放題の上、すべての外食やカーディラー、コンビニ、パチンコ等の娯楽施設は2011年の事故前そのままです。おまけに、国道6号線から海側の東へ抜ける道路はほぼ封鎖され警備員がすべての箇所にいましたね。「まだ、こんな状況なんだ」というのが実感です。その後、道の駅「なみえ」で昼食をとりましたが、ここは別天地のような綺麗さでした。

立派ななみえ(浪江)の道の駅

その後、南相馬に着いたのですが、実は元々今日はここまで走る予定でした。でも、まだ時間も早いですし、調子もいいのでもう少し行ってみることにしました。そして次の「道の駅そうま」に着いても、13時前です。どうしようか? このまま仙台まで行けそうなのです。そうこうするうちに「山元町山寺」のコンビニまで来ました。ここで今夜の宿を決めなければなりません。スマホの「じゃらん」で検索すると、仙台市内は、土曜日価格なのか、平日より格段に高い(2倍?)のですね。暫く検索していると、岩沼で(元)グリーピア岩沼の宿泊施設が、1万円程度ででてきました。ここは、現役時代に何回か行っており、土地勘もありましたので、結局、仙台市内での宿泊は諦め、ここに決定し、一応のゴールとすることにしました。

ゴール!!!!ホテルテトラリゾート仙台岩沼に到着

いわき出発から約6時間半で、岩沼の「ホテルテトラリゾート仙台岩沼」につきました。(途中、以前私がいた勤務先の工場の写真をとったりして)ゴール!!!!。

この日の記録は、走行距離:139.03キロ、時間:5時間25分56秒、平均時速:25.6キロ/Hでした。この平均時速は、私にとって1日100キロ以上のライドでは、最速だと思います。その原因は、国道6号線の原発の近くの区間は、車と信号が少なく、信号は黄色点滅もあり、かつ全コースに亘り、アップダウンも少ないこと、それに土曜日だったことが原因と思いますね。まれにみる高速コースでしたね。

この日は、ここ「ホテルテトラリゾート仙台岩沼」に宿泊しましたが、ここでの夕食は、辿り着けさえすれば何かあるだろうと思っていたのですが、夕食であるのはカップラーメンだけ??とのことでした。トホホですね。ほとんどの人は車で来るので、ふもとのスーパーで買ってくる由ですが、実はこの場所は山の上で、自転車で来る場合には、大変なヒルクライムがあるのです。私は頑張って上ってきたのですが、140キロ走ってきて、二度とあのヒルクライムはしたくなかったのでした。そんなわけでここのスタッフにお願いし、ふもとの「出前館」のスマホでのネット注文方法の指南を受け、何とか夕食にありつけました。その時に、このスタッフの方からサイクリストの話を聞かれたので、ホテルへのニーズとかいろいろ話をさせていただきました。(少しくどかったかな?と反省しきりです。)

◎2023年9月10日(日)・・4日目

私としては、もしもの為の1日を見込み、予定通りであれば仙台で1日ゆっくりできる日として、フライト前の1日を想定していました。それで今日1日は、ぶらり仙台散策のポタリングとしました。この日は、たまたま仙台の「定禅寺ジャズフェス」があることをホテルで知りましたので、午前中は、十数年ぶりですが(過去に2回行きました。)、行ってみることにしました。

仙台の定禅寺ジャズフェスに行く!

午後は、今も仙台に住んでいて、私の勤めていた会社で、私の入社当時の指導担当だった恩師のKさん(年賀状だけになっていたのです)と13時半に会う約束ができたのでした。実は、昨日の岩沼到着後すぐに、突然ですが私からKさんに電話したところ、本当に運がよくて、たまたまご本人が電話にでてくれ、この日に仙台市内の長町駅で会うことになったのでした。もう40年近く前に、私の結婚式にも仙台からきてくれた恩師Kさん。現在86才、十数年ぶりの再会です。会うと時間が一気に縮まるのは不思議ですね。元気な様子がわかり、ほっとしました。帰りに、ご自宅まで寄ってくれと言われ、奥様にも会え、仙台のお土産まで頂戴し、本当に有難いことでした。

私は数百キロ離れた場所へのロングライドでは、その地にいる知人の連絡先を書いたメモを持っていくのです。でも、予め言うとロードバイクなので心配されることから、いつも突然コールになってしまいます。今までに、コロナで会えなかった友人と「門司-長崎」ライドで「門司」で会ったり、伊豆半島一周の最終日の「小田原」でも久しぶりに友人にあったりしました。でも今回のKさんとの再会は、本当に十数年ぶりとブランクが長く、格別でしたね。Kさん、お元気でまた会いましょう。

昔の恩師(86才)と会う!

その後は、ロードバイクで、空港近くの「千年希望の丘」を見に行き、予約のしてあった「スーパーホテル美田園」に17時に着きました。この日は、疲れていたのですが、まず飛行機用の輪行袋(茨城空港からこのホテルに送ったもの)に、ロードバイクを詰めました。その後、やっと1日の汗を流し、今回の旅のレビューをしてみました。少し、お金はかかったけど、とにかく台風に追われながら200キロ近くも走れたことと、何といってもKさんに会えたことが一番良かったですね。

この日のポタリングの記録は、走行距離:42.45キロ、時間:2時間49分43秒、平均速度:15.1キロ/Hでした。

今回のロングライドで、結局、233.51キロ走ったことになります。

◎2023年9月11日(月)・・・5日目最終日

この日の朝8時に重い輪行袋を担ぎ、電車1駅で、仙台空港駅に行き、9時45分発の神戸空港行きSKYMARKに乗り、旅は終了しました。

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西粟倉ヒルクライム(2023秋)・・昨秋のリベンジ!

2023年9月3日(日)西粟倉ヒルクライムの秋大会にチャレンジしました。この春の大会は完走で、リベンジを果たしたことは書きましたが、そもそも去年の秋大会が、途中タイムオーバーだったので、本来はこの秋大会がリベンジマッチなのでしょうね。コースをじっくりみると、同じ12キロでも、春と秋ではコースも違うのでした。まあ、大した違いはなかろうと高をくくっていました。

9月3日(日)朝6時半に家を出発しました。今回は、たまたま女房と長女が、大会会場の近くでおいしいお店を見つけた由で、一緒にこの早朝から行くというのです。もっとも会場へ着けば別行動ですが・・。

すべて高速道路で100キロ走り7時45分頃には、会場へ到着し、8時からのエントリーには十分間に合いました。

会場に到着

いつもながら、すでに多くの方が来て、アップしていましたね。9時から開会式があり、聞くと今回も我々60才台と、70才台そして女性が、先頭スタートでした。どうも春大会からこの方式に変更されたようですね。それと、8キロ地点で昨秋同様、タイムオーバーがあるようなことを言うのです。春はこれがなくて、女性の最終ライダーの到着を全員で待って、拍手で迎えたのになぜでしょうね。いつも警察の方も来ているので、道路の封鎖の時間とかの関係のようなことを話していましたが、これも毎回ですが、説明のスピーカーの音が室内で反響するため、うまく聞き取れませんでした。私としては、このタイムオーバーの8キロをクリアーしてここを60分以内で通過という目標としました。

開会式
スタート地点

10時にスタートしましたが、春から我々高齢者からのスタートなので、後ろにいる100名程度の参加者のほとんどに抜かれる予想です。私もこの春は少し抵抗がありましたが、今は一行に構わないのですね。スタートしてすぐ、最初から結構な激坂が続きます。昨秋に走っているハズなのに、なんだか別のコースのように感じるのです。トンネルを抜けた4キロ手前からの細い道でたぶん15%以上の激坂があり、私は狭いのでフラフラで、私のすぐ後ろの女性が、しょっちゅう「後ろから来ま-す!」と声をかけてくれるのです。この女性(阪神タイガースのジャージの人)には、本当に感謝です。この坂で、結構な人に抜かましたね。ここが若い人の脚力との違いでしょうか。私としてはまたもや、昨秋にここを本当に走ったのかなあーーーですね。

今回はいつもにも増してコースマップと高低表を見てきたので、とにかく8キロまで頑張ったら、あとは大した坂はないということが分かっていました。この日も異常気象で気温も32度以上あり、ヘロヘロ状態で、かつ給水できそうなフラットなところがなくて困りました。私としては、「口から心臓がでるくらい」辛かったですね。「秋は止めよう」とも何度も思いました。そうこうするうちに、昨秋にタイムオーバーになった地点を通り過ぎましたので、心底ホッとしました。あとは、ゆっくりでもゴールできると確信しました。その後の4キロは予想通りで大した坂もなく、無事ゴールできました。

ゴールしてみると、大勢がいたので、私としては、これだけの人に抜かれたんだと思いましたね。その後、何故だか、主催の人の指示でまだゴールしていない人を待たずに、下山し始めていました。あとでわかったのですが、私の後の数名以外は、どうもタイムオーバーのようです。秋大会はタイムオーバーがあるのですね。やっぱり春とは違うことが分かりました。私と数名が最終に近かったのですが、困ったことがありました。給水の大きなタンクの水が、私の前の人で空っぽになってしまったのです。聞くとトイレの前に湧き水があるので・・とのことで、迷いましたが、少しやむなく飲みましたね。春の時は、冷たいトマトもあり、下山途中の100円カレーもありましたが、このインフレでなくなったのかもですね。

下山した後は、家族と合流し、私はいつも通り近くの日帰り温泉で汗を流しました。そういえば、この温泉の割引券もなくなりましたね。

昼ご飯の時に、リザルトがでていたので、確認すると私は1時間7分17秒で、86位で90名がゴールしており、私の後ろには4名いました。それ以外で17名のDNFは、どうもタイムオーバーのようですね。また、60才台では8位で、最下位でしたが、私としては、ぎりぎりながらリベンジできたと思っています。また、家に帰ってから、2023年の春と秋の大会のリザルトも掲載されており、これを見ると、私が何と2大会ともゴールしたので、36位でした。ちなみに最後は37位ですがね。でもこの中に入るのって、私にとっては結構大変なのです。

最後にいつも、驚きますが最高齢は78才で、1時間22分台でゴールしています。なお、昨年私と一緒で途中、タイムオーバーになった79才の方はどうしたのでしょうね。今年はお顔を見なかったような・・・。

60才台で8位、全体で86位! 赤は最高齢78才でのゴールです。
2023年春と秋大会の総合順位で、私は36位。
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西粟倉ヒルクライム再挑戦・・リベンジはできたのか?

また、来た・・・

昨年の2022年9月4日の西粟倉ヒルクライムで、8キロ地点でのタイムオーバーにより停止をさせられ、記録なしに終わった記事を書きましたが、この大会が終わった段階では、「二度と出ない」と思っていたのです。ところが、たまたま、2023年5月21日に、ネット(スポ-ツエントリ-)で、2023年6月4日開催の同じ大会の「春大会」を見つけ、それだけでは、まあどうでもよかったのですが、よく見ると、その案内にかなり前の私の写真が写っていたのですね。ちょっとびっくりしました。そこで、これも何かの縁かと思い、リベンジの気持ちが湧いてきて、迷った末、結局申込最終日にエントリーしてしまいました。

今回の大会に合わせて何か特別な練習とかは、時間的にも無理でしたし、週1回35キロのルーチンライド以外は、台風2号の接近で、雨が続いており為す術もなしでした。その後、大会前日にやっと晴れたので、近所の1キロほどの坂があるのですが、そこを7~8回登りましたね。

2023年6月4日の大会当日は、5時半起きで、6時半に車で出発しました。すべて高速道路利用で100キロ走り、現地に7時45分頃に着きました。昨年は6時出発でしたので、早く着きすぎたのですが、今年はちょうど良い時間になったものの、駐車場が遠くなるんですね。知りませんでした。

開会式…何か違う

今回の大会では、開会式の説明を聞いていると、何か違うのです。それは、①昨年は年齢の若い順からのスタートでしたが、今回は年齢の高い順でスタート??、②どうも途中のタイムオーバーのことを聞かなかった??のです。あれっと言う感じですね。そういえば、去年の秋大会のタイムオーバーは、一番後ろからスタートした我々60才以上と女性とママチャリの高校生だけがリタイヤとなったのですが、我々よりも早くスタートした60才未満の人でも、チェックポイントまでの所要時間では、遅延者がいたかもしれませんね。きっと、あのあと何かクレームがあったのでしょう。

スタートライン(今回は年齢の高い順?になり、我々の後ろに約120名が並んでいます。)

私は今回はリベンジで完走が目標ですので、前回と違い一応、コースと勾配をじっくり見てきたのと、私のサイコンでは距離を表示させていますが、時間の表示はボタンを押す必要があったので、腕時計(軽いもの)をして、これにより時間を常に見ながら走ることにしたのです。

参加者は全員ゼッケンに、ABCDEFWの表示があるのですが、我々60才台は、「E」で、スタートは、「E」「F(70才台)」「W(女性)」が同時スタートで、最初だけ、この同年配集団で走るのですが、当然のことながら、若い人達が抜いて行きます。その数やすごいですが、ただただ彼らの脚力にびっくりするばかりですね。どうしたらあれだけ走れるのですかね。

スポーツはみんなそうだと思いますが、ヒルクライムは特に「何でこんな苦しいことを好き好んでしてんのか?」と途中で何度も心が折れそうになりますね。また、私はただ完走目標だけなんですが、どうも抜かれるとあまり良い気分になれないのはどうしてでしょうね。まして、「E]と「F」の人には・・・。私は途中で、すぐ前を行く「E(60才台)」の人の後ろをほぼ同じ速度でついていたのですが、ゴールの手前あたりで、もうすぐだと思い一旦抜いたんです。ところが、ゴールまで持続できず、また抜き返されてしまいました。流石にこの大会には、慣れておられるのでしょうね。

約1時間あまり、私は、ただただ我慢をしながらペダルを回し、獲得標高660メートル、標高1100メートルのゴールに辿り着きました。今回はリベンジでしたので、完走で達成感はありましたね。良かった。

今回、ゴール地点ですばらしいことがありました。我々が下山しようとした時に、最終で登ってくる人がいるので待ってほしいというのです。暫くして、一人の女性が、ゴールしてこちらに向かってきました。下山しようとする全員から大拍手でしたね。その女性は、ロードバイクですが、ビンディングペダルではなく、フラットペダル(普通の自転車と同じ)でした。すごいです。また、昨年の秋大会で、私と同じようにタイムオーバーでリタイヤした「F(70才代)」の方を見つけました。去年と同じウエアと顔ですぐにわかりましたので、声をおかけしようと思ったのですが、中高生のような年の方(お孫さん?)と喋りこんでおられたので、やめましたが・・。

下山の途中で、この大会の名物の先着60名、100円カレーを初めて食べてみました。すきっ腹に浸みますね。有難し。

車に戻り、いつも通り、近くの日帰り温泉で汗を流し、大会HPのリザルトを開いてみると、私は、60才台19名中、12位で、55分37秒でした。同じコースなのか不明ですが、この大会の以前の名前「ヒルクライム若杉」で走ったことがあるコースであれば、58分台であったような・・。

また、あの拍手を受けた最終ライダーの女性が、1時間30分であったことや、四国からの参加者であったことがわかりました。お疲れさんでした。

また、私と同じ昨年タイムオーバーだった「F(70才台)」の方は、何と、79才で最年長であることがわかりました。これまた、たまげましたね。私には絶対無理ですね。

2024/6/4の西粟倉ヒルクライムのリザルト

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水戸-新宿ソロライドで酷道6号線を走る!・・・予定変更で232キロ

2023年4月13日(水)から久しぶりのロングソロライドに出ました。今回は、飛行機で茨城空港から国道6号線で仙台まで、279キロを走る計画で出発しました。実は、この計画は昨年9月に行く予定で飛行機も押さえたのですが、腰痛が出たため延期にしていたのです。たまたまSKYMARKの「たす得」でしたので、1年間の同経路での延期が可能につき、当時予約のできる一番遅い3月にしていたのですが、寒さのため4月以降が予約可能となった3月の中旬を期に、再度4月に変更したのです。

水戸城追手門(これが唯一の見学)

飛行機用の輪行バッグにバイクを詰めて神戸空港から茨城空港へ着き、早速自転車を組み立て、このバッグは仙台の予約したホテルに送り、初日の予定である水戸駅前の「水戸三の丸ホテル」まで30キロを走りました。その日はここで1泊し、さあ明日から「いわき」に向けて出発と思っていたのですが、その晩に、東京にいる私の娘からの連絡で5歳の孫が昨日夕刻に公園の出口で自転車とぶつかり、すね(脛骨)骨折でギプスとなったこと、本人は家にいてギプス以外何の処置もなく、痛みもない状態とのことで、トイレ等の介助などあり、急がないができれば来てほしいとのことでした。困った----。緊急事態ですので、私はここで仙台行きを断念し、とにかく東京(新宿から西約9キロ)へ向かうことにしたのです。水戸から娘の家まで、130キロあまり、電車で行くことも選択肢にあったのですが、明日中に着けばよいとのことでしたので、新宿めがけてロードバイクで走ることにしました。

実は、茨城空港から仙台までの間では、去年の早い時期では、国道6号線は原発のため全線開通していない区間があり、電車(常磐線)での移動を余儀なくされていたので、今回も念の為、飛行機用輪行バッグとともに、電車用の輪行袋も、持ってきていたのです。但し、オーストリッチL-100の縦置き用の袋なのですが、横置きして入れる方法を知ったので、縦置き用のアルミの治具(スタンド)等は持ってきていませんでした。あくまでも、緊急用でした。

翌日、朝7時過ぎにホテルをチェックアウトして、新宿を目指してスタートしました。当日は、強風、向い風で走りにくい上、国道6号線は、ほとんどが片側1車線で、路肩(白線の外側)も50センチ程度のところも多く、おまけにトラックやトレーラーの比率が高く、横を至近距離で追い越して行くので、何度も恐怖を感じながらのライドとなりました。また、利根川や荒川等の大きな河の渡河は風が強く、普段なら車道を走れるのに、流石に怖くて歩道を風に抗いながらの走行で、この道路はまさに「酷道6号線」でした。

昼食の「煮干し本舗のラーメン」これがうまかった!
東京に着いた!!!

その後、この「酷道6号」から、環状7号に入る交差点がわからず直進したため、東京スカイツリー辺りの浅草橋まできてしまいました。ナビはバッテリーのこともあり使わなかったのですが、そこで初めてグーグルナビを使うことにしました。これが正解でした。というのは、郊外より都内の方が路面にブルーの表示のある自転車道が多く、また、このナビでは「車」ではなく「自転車」の選択で親切な表示と案内がありスイスイと走れるのです。ちなみに茨城空港や水戸では「自転車」の選択はできませんでした。都内に入ってまず気づいたのですが、急に外国人の数が多くなり、ロードバイクの外国人も結構いるのはびっくりでしたね。その後、夕方3時半ごろにやっと新宿駅に着き、孫の家には、4時前に着くことができ、そこでケガにも拘わらず、足以外は元気でケロッとした孫の顔を見てほっとしましたね。グーグルナビに感謝です。

2023年4月14日(金)の16時から、4月20日(木)の18時半までは、孫の相手と娘の家事のヘルパー!をしましたね。でも、私はあいにくこれが苦手なのです。(この辺りの詳細はカットします)という訳で、孫の様子もわかったので、6泊し20日に帰ることにし、帰りは、大阪まで輪行のできる夜行バス(ブルーライナー)があることをネットで見つけ、前述のいざのとき用の輪行袋があったので、このバスを利用することにしました。輪行袋は、臨時の横置きですので、娘の家で十分練習をしましたね。なお、三宮までのバスはあるのですが、輪行は大阪梅田行きしかないようです。この路線のバス利用は学生時代の東京ー大阪のドリーム号以来ですね。

バスタ新宿前で輪行袋に詰めた

2023年4月21日(金)の朝6時20分に、バスは大阪梅田のプラザモータープールに着きました。ここはトイレも休憩所もなく、ただ駐車場だけなのでびっくりしました。今回、あまり眠れなかったのですが、このまま電車に乗ってもラッシュアワーなので、ここで元気を出してバイクを組み立ててみたのですが、この時チェーンがペダルの間に挟まってしまって抜けないのです。前にも沖縄のやんばるの山中であったのと同じようです。無理をするとチェーンが曲がったり、切れたりするので、慎重に30分ほど格闘してやっととることができました。要は、大きい方のギアを少し押して、ペダルとのわずかな隙間を広げるのがコツのようですね。

何とかバイクも組み立てることができ、7時過ぎから早朝の大阪を抜け、淀川を渡り国道2号線をひた走り、3時間あまりで明石に着くことができました。この日の走行は59.43キロ。

今回の予定変更のライドは、総計231.56キロ、平均時速20.8キロでした。

こんな記事を書いていますが、孫が今のところ何とか回復途上だから、ライドができ、書けるのです。とにかく、孫が早く無事に完治するのを待つばかり。お願い。

明石に着いたあ!!
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4年ぶりに西粟倉ヒルクライムに参加・・結果は?

岡山の西粟倉に到着

2022年9月4日(日)に4年ぶりに岡山の「西粟倉ヒルクライム」に参加しました。コロナ下で大会がなくなったり、あっても躊躇していたのですが、いままで3回の参加実績(2016~18で、但し場所は同じで当時は「ヒルクライムIn若杉」という名前でした)があることや、エントリーフィーが安く(3000円)、コロナのことや天候などの状況次第で無理してまで行かない、不参加でも構わないという前提で申し込んだのです。

当日は、台風の影響の風が心配されましたが、運よく風もそれほどでもなく、晴れでした。朝5時起きで、車にロードバイクを積み、6時に家を出発し、100Km運転し、約1時間半で現地に到着しました。明石からだと播但および山陽、鳥取の各自動車道ともスイスイで予定より1時間以上も早く着いてしまいました!?。会場について見渡してみると、いつもながら高そうなバイクが多く、1グラムの無駄もないレース仕様がほとんどです。私のようなロングライドをする上で、ヒルクライムが避けられないためにやりはじめ、ロングライド同様に完走が目標の参加者はマイナーなのでしょうね。

今回、久しぶりに来てみて驚いたのは、ディスクブレーキが、半分近くもあったことです。時代の流れなのでしょうね。私のような輪行をする場合には、ディスクは少し厄介(バイクを畳む時に壊れないかとか・・)なのですが。

9時過ぎからの開会式のあと、170名ほどの参加者が、10時10分から順次スタートして行きます。若いグループからですので、私は、60才台(Eグループ)と70才台(Fグループ)、女性(W)の3グループ約15名とともに、最後での一斉スタートです。(エントリーはE12名、F2名、W1名でした。) 最後のスタートというのは、順位を争う参加者に迷惑をかけず、これもいいですね。

開会式の様子

私は、距離12キロ、獲得標高806mの完走が目標でしたので、後ろから4番目ぐらいで、ゆっくりベースで行きましたが、過去3回のコースと違い、勾配がきついのです。あれっていう感じです。ちょっと戸惑いながら我慢して登っていきました。途中、6Kmくらいまでで、50才台(Dグループ)から遅れてしまった人が2名と、高校生のママチャリ参加(ほんとうにすごいことです。よく登ってこれたねと声をかけましたが・・)1名を抜きました。もっとも、後ろにいた同じEグループの1名と紅一点の女性には抜かれましたが・・。そんな中、8キロ地点で、何やらスタッフが進行を止めているので何事か聞くと、「タイムーオーバー」とのこと???。初めてのことで、そういえば、開会式の時に「11時までに、チェックポイントに着かなければ・・」と言っていたような。他人事で聞いていました。

どうも私の前にいた2名と後ろの5名(多分?)が、タイムオーバーのようです。残念ながら、今回は記録も残らないようです。今まで3回は、ネットに記録が残っていたのに・・。

その後、一緒に下山した中で2名の参加者(EとFグループ)が、メインのスタッフに、少しタイムオーバーが早いのではという質問をしておられました。1名のFグループ(70才台)の方は、あっちこっちの大会の参加経験者で、「ここは一番早いタイムオーバーではないか」とくい下がっておられました。その時のスタッフの回答は、「前回春の大会もこの時間で切り、誰もリタイヤがなかった」ということでした。(コースは一緒なのかは調べていませんが・・)

よく考えてみると、この70才台の方は、完走さえすれば、表彰台なのです。私は全く縁がないのですが、表彰台に立つって、いくつになっても、きっと頑張ったあかしで気持ちのいいものなのでしょうね。

当日の記録:スタートから8Kmでタイムオーバーでリタイヤ。下山と合わせ、計測は、往復距離17.26Km、時間:1H22M40S、平均時速12.4Km。獲得標高634m(ゴールの場合は、806mでした。)

(追記)最後のスタートの後ろに、登録外(ゼッケンなし)の若い方が「抜かない」ということを条件に「一緒に走らせてもらってます」と言っておられました。この方がすごい高そうなバイクで、いかにも早そうな恰好でかつグローブなしでした。私達たちがタイムオーバーで待っていた時も余裕でしたが、あの人は何だったのしょうか。聞いておけばよかった。有名な人だったのでは?

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伊豆半島一周ソロライド283キロに挑戦・・振り返り

2022年5月31日、家に帰り、今回の激坂のコースをレビューしました。

考えると今までのロングライドは、距離だけで行先を決めていました。人が行けるのだから、多少の坂でも大丈夫だろうで、そもそも獲得標高をほとんど気にしませんでした。それに気にしだすと行くのに逡巡してしまいます。

今回、帰ってきてネットで調べると、獲得標高は、四国一周1000キロで7000メートル、淡路島一周150キロで1100メートル、伊豆半島一周265キロ4700メートル。これをみると、標高では富士山より登ったことになり、いかにイズイチが大変か今頃になってやっと判りました。また、私は自転車専用のナビもなく、アプリも入れていませんので、グーグルマップの標高グラフだけしか見ません。今回、これで見ると、グラフで見る限り、箱根の874メートル(グーグルではなぜか868メートル?)のグラフから見ると箱根以外の坂は、激坂には見えなかったのです。トホホですね。

これがそのグーグルのグラフ

でも、今回のチャレンジでまた一つ自信ができました。

今回の教訓①「多少の坂は十分な休憩と十分な水分補給により足も攣(つ)らずに上れる。」、②「かりに足を攣(つ)っても、10分か30分程度の休憩で、回復できそうだな」(真実かは?)。

以上

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伊豆半島一周ソロライド283キロに挑戦・・一周の3日目-駅伝5区:20キロで標高874メートルへ

一昨日2022年5月28日に、この小田原の近くに住む高校時代のバスケクラブの同級生がおり、もし時間があれば会おうとメールしていたのですが、今日2022年5月30日(月)は、運よく小田原に来てくれましたので、朝から1時間ほどコーヒーとサンドイッチで久しぶりの旧交を温めました。そこで、小田原から沼津までの道をいくつか尋ねました。実は私は箱根駅伝5区のコースを走ってみたいとは思うものの、20キロで標高874メートルの経験もなくどうしようかと迷っていたのです。色々話すうちに時間的には、色々なトラブル時でもリカバー(だめなら戻るとか箱根登山鉄道に輪行で乗るとか)できそうな時間でしたので、「やってみるか」と決意し、このルートにほぼ決めました。この日は、箱根駅伝5区ルートでヒルクライム20キロ、その後沼津までの長いダウンヒル28キロです。

小田原から国道1号線を行くと、渋滞です。しかし箱根湯沢から少し行くと渋滞も解消しました。バイクの速度は、8キロ台がいい方で、一番遅い時は6キロ台でした。この日は、気温が30℃近くありましたので、水の補給と休憩を4回と慎重にし、ペダルをたとえゆっくりでもまわし続けました。

10キロを過ぎると車の数もガクンと減りましたので、カーブで車を気にせず走れました。

やっと最高標高の書いた看板まで辿り着くことができました。その後、ここから芦ノ湖までが、ダウンヒルとは知りませんでしたね。このダウンヒルを快調に飛ばし、無事、13時15分に芦ノ湖に到着しました。小田原からの所要2時間15分。駅伝の選手が1時間10分そこらで行くのが、びっくりです。

芦ノ湖の遊覧船乗り場に到着

芦ノ湖で達成感に浸り、これから沼津までの28キロのダウンヒルです。ウイニングライドは「気を抜かず、ゆっくり」と肝に銘じて走りました。15:24沼津着。

箱根峠から芦ノ湖を望む

本日の走行距離:48.69キロ、平均時速15.0キロ、走行時間:3時間14分。 3日間の走行距離:265.26キロ、平均時速:17.6キロ、走行時間:15時間3分

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伊豆半島一周ソロライド283キロに挑戦・・一周の2日目-信号で止まり、ゴーした瞬間に道路上異物で落車する!!!

今日2022年5月29日(日)は下田から大田原までの予定107キロです。下田を出て海沿いの道を進みます。道は相変わらず、アップ、アップ、ダウンという感じです。国道135号線に順調に伊東市に入りました。ここで思わぬトラブルに見舞われました。135号線で平坦な道で信号待ちをして、走った後すぐ、道路上にある鉄のアンカー(多分、左折レーンと直進レーンを区切る突起物)に引っ掛け、落車をしてしまったのです。私は今まで3回の落車があり、一番最初の落車は、 2012年9月 の全くの初心者のときに、淡路島一周の南淡でダウンヒルの右カーブで濡れた落ち葉でハンドルをとられ、腰部と上腕肘打撲と唇と眉を切ったのが、一番の災難でした。この時は、結構なスピードでしたが幸いにも軽傷で済み、以後、「ダウンヒルでは絶対にスピードは出さない」と肝に銘じて実践しています。あとの2件は、ビンディングシューズを初めて履いての「立ちごけ」と、2年前の夕方の少し暗くなりなじめた時に、信号で停止する直前に、アスファルトが高熱による変形で凹凸があり、やはりビンディングシューズが間に合わず落車というものです。「平地を侮るなかれ」ですね。

この落車も幸いにも擦り傷と打撲のようでしたので、近くのドラッグストアで消毒薬とガーゼと絆創膏を買い、簡単な治療だけで、残りの30キロ近くを走りました。

熱海を過ぎるあたりから車の数が多くなってきました。真鶴駅を過ぎたあたりでしょうか、車は渋滞から全く停滞状態となりました。ホテルは、昼過ぎに「じゃらん」で予めクリップしておいたホテルが空いていましたので(日曜日の宿泊は心配ないのです)、予約を入れました。ただ、この停滞で遅くなることが予想されました。しばらくすると中型モーターバイクの人達が、たまらず車の左側をゆっくりすり抜け始めていましたので、私もこれの最後尾で行かせてもらいました。感謝です。このため、何とか16時半にホテル(ホテルクニミ鴨宮)に着くことができました。ホテルでは早速、風呂に入り、傷口の消毒をし、ランドリーと夕食の調達で、これらはいつも通りですが、忙しいのです。 本日の走行距離:96.63キロ、平均:18.6(激坂に加え渋滞、停滞の為)、走行時間:5時間16分。

小田原のホテルに無事到着

後日、落車場所と道路異物について、グーグルストリートビューで、調べた結果、以下のように特定できました。

落車した交差点
赤い枠内の鉄のアンカーのようなものを
避けられなかったもの
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伊豆半島一周ソロライド283キロに挑戦・・一周の初日

2022年5月28日、沼津駅北口に定刻より10分程度早く、8;15頃につきました。それからロードバイクを組み立てたのですが、いつものことながらリアディレーラーをハンガーから外していますので、これば一番のネックですね。幸いうまく組み立てましたが、小さな不具合は色々ありました。例えばサイコンのセンサーがリムにあたるとか、コンビニで買い物をするのに、後輪にワイヤーロックをしたのを忘れて少し走って気づいたとか・・。

いよいよ9時にスタートしました。今日は予定では128キロです。沼津駅の北口から南口方面に南へと進めます。とりあえず「沼津御用邸」の看板を見つけましたので、この道で正解です。その後、県道17号線の海沿いの道を道なりに行きます。約27キロ走ったところでしょうか「富士山ビュースポット西浦江梨」に着きました。たまたまそこにいたライダーに道を尋ねましたが、ここから「戸田」辺りまで坂が続くがそれ以降の西伊豆、南伊豆は行ったことがないとのことでした。また、東の熱海辺りは車で一杯なので、走れないという情報も得ました。

富士山ビュースポット戸田

(野猿の群れに遭遇)

西伊豆まで。これでもかという激坂と少しのダウンヒルの繰り返しです。さすがにこれがどこまで続くのかと心配になってきます。さらに南伊豆に入るとほとんど車もまれに通るという状況です。そんな中、ダウンヒルの前方に車(アルファード)が止まっていました。よく見ると車の前に猿が数匹群れでいるではないですか。こちらは恐怖です。幸いにもダウンヒルでしたので、進行方向の左側車線には猿がおらず、数匹が反対車線の車にたむろしている状況でしたので、フルスピードで横を通り抜けることにしました。これが成功しました。もし、上りで8キロぐらいしか走れないならと考えるとゾッとしました。今回は、車の運転手さんが猿を引き付けてくれたので感謝です。

(予約したホテルに予定の時間にいけないか?)

私は普段の宿泊先は、当日の調子をみて、昼過ぎに「じゃらん」で予約するのですが、たまたま今回は、土曜日でかつ場所柄ホテル数が限られるということもあり、前日予約をしていました。ということで、今日は何としても、下田まで行かねばならないのでした。今日はこれまで100キロ走りました。実は、今回は数年ぶりで、両足を攣るという事態が生じました。めまい症(BPPV)による1か月以上の練習ブランクと、朝から時間が惜しくてまともな休憩を取らなかったせいかもしれませんね。この時点でまだ20キロ以上残っているのに、4時半を過ぎていました。

困った。そこで激坂の手前で足を休めていたら、ひと気のない山の中で唯一畑仕事のおじいさんがいましたので、下田までどれくらいの峠越えがあるのか尋ねると、「この上の峠を越えると後は、下りになるよ」とのことでした「????本当かな」と思いつつ、休憩とホテルに遅延連絡をしました。その後のこのおじいさんの言う通りでした。この時点で心が半ば折れそうでしたので、この言葉には勇気をもらいました。多分、あの時、話をしなければへこたれていたでしょうね。宿泊をキャンセル(100%支払)していたかもですね。

その後、順調に20キロのダウンヒルを走り、無事5時26分に「下田伊藤園ホテルはな岬」に辿り着きました。このホテルでは、飲み放題、食べ放題ですので、久しぶりにランドリーだけで済み、一日(というか二日分)の疲れを取りました。

この日の走行距離:119.7キロ(最南端ヒリゾ浜の道を時間がなくスキップしました。)、平均18.1キロ、走行時間:6時間36分。

下田の予約していたホテル
サイクリストフレンドリーなホテルです。(ロードバイクスタンド)
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伊豆半島一周ソロライド283キロに挑戦・・前日の移動日

2022年5月27日の23:20大阪梅田スカイタワー発のWILLERバスに乗るために、自宅を20時過ぎに出て、JRで移動しました。ロードバイクで明石から60キロ走るという方法も考えたのですが、夜は危険な上、明るい内に移動するという方法もあるのですが、着替えと洗濯、長時間の待機の問題もあり、直前のJR移動に決めました。それにJRはすでにラッシュ時間を過ぎていますので、好都合です。

梅田のWILLERの待合室には、22時前に着きましたが、広くて快適でした。深夜までスタッフがいますので、盗難の心配も少なく、コンビニも近くにあり、待機には十分です。

その後、定刻にバスが発車しましたが、四人掛けシートで、横の席との間仕切りや頭を覆うフードがあり、アルコール消毒を含めコロナ対策もよくしてあり少し安心しました。

走行中に関しては、途中乗車やトイレ休憩でよく止まることや、リクライニングとはいえ、慣れないとそうそう眠れるものではありませんね。私は結局、ウトウトの時間ばかりで熟睡感はありませんでした。

WILLER輪行できるサイトのあるバス

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伊豆半島一周ソロライド283キロに挑戦・・リサーチ

コロナ禍以降のソロライドも四国一周、沖縄一周、門司-長崎と3回を終え、次回はどこかと考えました。今年2022年は、今まで行ったことのない場所の中から、ロードバイク向きで300キロ前後という観点から、①北海道(千歳から300キロ以内で戻る)、②伊豆半島(バスで沼津起点で一周)、③バス起点からの「尾瀬」の往復案で色々調べてみました。その内、この春の行けるところで、かつコスパから②の伊豆半島一周に的を絞り、できれば、私が好きな「箱根駅伝5区」を走ってみたいということもありました。

ロングライドのため四国や九州までのアクセスでフェリーは使ったことがあるものの、バスはありませんでした。今回、色々調べていく過程で「WILLER」の輪行バス予約のサイトがあり、大阪-静岡3000円台という広告が頻繁にでてきましたので、初めてですが使ってみようと思いました。

「イヅイチ」ついてのブログやユーチューブを見ると、どうも2日くらいで走っている人が多いようでした。最短は熱海から沼津に行くルート、大廻りは小田原から沼津に行くルートなどあり、私の場合は箱根駅伝5区ですので、一番外廻りのコースを検討しました。距離では283キロと出ましたので、3日で余裕で行けるかなと思いました。→これが大きなミスでした・・。

伊豆半島一周283キロを3日で行く

一応の予定として、初日128キロで下田まで、2日目107キロで小田原まで、3日目48キロで沼津までの案を作り、後は天気を見ながら最初は2022年5月23日に行く予定をいましたが、3日目に雨予想のため、暫く待ち、結局5月27日スタートとしてバスを押さえました。また、じゃらんで見ると、28日は土曜のためホテルの確保の心配があり、普通は当日予約ですが、今回は前日予約をしました。これが結局、初日に距離を欲張り過ぎたという結果を招きました。

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門司→長崎236キロソロライド(5日目-完走後、神戸着)

翌朝2021年10月25日(月)朝7時に六甲フェリーターミナルに着きました。外はまたもや雨です。困った。これからバイクを組み立てて家まで走るか、連絡バスで輪行のまま、JRで家まで帰るかですが、流石にこの雨では、JRにすることにしました。根性が足りなかったと反省至極です。

今回のライドを振り返ってみて思うのは、ワンウエイの旅程だと輪行で重たい自転車を運ばなければならないのですが、一周(ラウンド)だと、沖縄一周のように起点(那覇)に輪行バッグを預けることができ、有難い上、達成感という意味では、ラウンドの方があるような気がしますね。

次回は、どうしようか・・。

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門司→長崎236キロソロライド(4日目-完走後、輪行で長崎から門司へ移動)

翌朝、朝9時にホテルをバイクで出発。15分ほどで、長崎駅に到着し、バイクを畳み、輪行袋にいれました。その後、10時20分の特急「かもめ」に乗り博多まで行き、快速に乗り換えて門司駅まで行きました。特急は最後列に座席指定をしましたが、うまく収まらず結局、キャビンがあったので置かせてもらいました。なお、JRの窓口の方に聞くと、輪行の場合に最後列の座席指定が必要なのは、新幹線のみとのことでした。

12時過ぎに博多で快速に乗り換え後、午後2時前に門司に着きました。門司駅では2年ぶりに高校時代の旧友と再会し、遅いランチをとりました。無論コロナ下で、オープンエアのレストランで、会話はマスクですね。 ランチを終えた後、4時半に、輪行のまま新門司港行きの連絡バスに乗り、6時半の阪九フェリーに乗船しました。乗船後は、往路同様、ゆっくりと船内の露天風呂を楽しみ、ビュッフェでおいしいビールを飲みました。

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